「それから」

某公立大学理系学部4年生(6年制大学)が思ったこと

「変わってるよね」という言葉の変わっているところ


本当はもっと書きたいことがあったはずなのに、いざ書こうと思うと出てこない……。これからここに書いておこうと思ったことはこまめにメモしておこうと思います。

さて、ここ数年感じている違和感についての話。「変わってるよね〜」という言葉について。
わたしはこの言葉を、生まれてから、散々、言われ続けて育ちました。小中高浪人大学生と、クラスが変わる度に複数人に言われ続けました。
小学校の頃は何とも思っていなかったその言葉が、中学生になって高校生になるとすごく嫌でした。すごく傷ついていた。でも、その反対にこころのどこかで少しだけ優越感みたいなものも感じていました。

大学生になってからも言われ、おい。大学生なんだから好きなことやらせてくれよ、(これはまた後日ブログ書くことにする)と思ったと同時に、今までは感じたことのなかったある感情が芽生えました。
「変わってるよね〜」と言った人って、何と比べて変わってるよね〜と言っているのだろうということ。
まぁ、読んでくれている人の中で「変わってるよね〜」と言われる人は少ないと思いますが、、、(笑)

つまり、わたしが、引っかかっているのは、”変わっている”の反対語は”変わっていない”、つまり、”ふつう”、ということだが、一体その”ふつう”とはなんぞやということなんですよね。。。
わたしの考えとしては以下2つです。
1.日本では、マジョリティがふつうで、マイノリティが変わっている、という謎のカテゴライズがあるという事実
(しかし、「変わってるよね〜」と言ってきた人って本当に世の中のマジョリティを把握してるんですかね?自分が考えた、世間のマジョリティだと思っていることがふつうになっていてそれが実際のマジョリティと異なるならばそれは以下の2に含まれますね)
2.変わってるよね〜と言ってきた人自身が基準で、ふつうの場合

1.の傾向が強いと感じた方は、仕方ないです。日本を出ましょう。海外ではそんなことを言ってくる人はいません。この国は十人十色という四字熟語が守れてなさすぎます。
2.の傾向が強いと感じた方、こう考えてみてはどうでしょうか?「変わってるよね〜」と言ってくる人が変わってるわ〜と。

わたしは2の解決策で、大分救われた。もちろんその発言を受けることも嫌だったが、変わってるよね、と言われる度に優越感を感じることがとても嫌でその度に自分が嫌いになっていた。
しかし、変わってる人に言われた変わってるよね〜はなんのダメージもなくて、優越感を感じることはなくなりました。


「変わってるよね〜」と言われることを生き甲斐にいろんな事をしながら(本当の自分を見失いながらも)生きてる人って少なくないと思います。
でもどんだけ変わってることしても、みんな、違うので、みんなふつうじゃないし、みんな変わっているので、そんなことに頑張るのは結果として疲れるだけかなと思います。

優越感や達成感というものは、もっと違うところに求めた方が良いです。

かといって、やりたくないことなのに自分が傷ついてしまっているのに、それでもなおマジョリティに流される必要もないと思います。 このバランスが難しいのだけど……ね
しかし、日本のマジョリティっておかしい部分があるんだ。遠慮するのがマジョリティ、出しゃばらないのがマジョリティ、どこか自分の人生に諦めるのがマジョリティ………じゃあなんのために我々は生きてるの!、!まなんでいるの!、!



つまり何が言いたいかというと、
変わってるよね〜って人に言わないで欲しいということです。冗談でなら構いませんが、わりと自分の真面目なはなしをしたあとに真顔で言わないで欲しい。大学生にならまだしも、中学生や高校生には絶対に言わないほうが良いと思います。意外と傷つきます。
なぜ、意外と、と書いたかというと言った本人は批判するつもりで言っているわけではない場合が多いからです。「(自分と違うと関心して、または、自分はどう頑張ってもそんな風にできない)変わってるよね〜」というニュアンス。
それ、変わってるよね〜という言葉は不適切です。褒めてないですから!
サイコパスに近い”変わってるね”の印象を受けないときは、是非変わってるね、という表現は避けてあげてください。

そして「変わってるよね〜」と言われるのが嫌な人。きにするな!だってみんな変わってるもの。
それで良いと思うんだ。



では、よろしく。